1752年、この年は、マリアテレジアにとり勝負の年でした。

1750年より今まで敵対関係であったフランスに宰相のカウニッツを向かわせ、時間と莫大なお金も費やし、ルイ15世の妾である、ポンパドゥール夫人の懐に入り込んだのです。その頃、マリア・テレジアはこの同盟を成功させなければいけないという強い意志をもっていたことでしょう。そして、それが実りつつあるという状況の報告を受けていたのは、1752年です。

そして、もう一つ、1752年は、マリア・カロリーナが生まれた年でもあるのです。後にナポリ王フェルディナンド4世の王妃となります。

神聖ローマ帝国を背負っている、彼女は、常に失敗の許されない、そして、いつも柔軟な発想で、危機を脱してきました。

若いマリア・テレジアがハプスブルク家を継いだ際、プロイセンのフリードリヒ2世がシュレージエンに侵攻し、占領します。神聖ローマ帝国が終わりだという時に、当時、神聖ローマ帝国への忠誠が低かった、否、神聖ローマ帝国内でありながら、ほぼ敵対といっていいほど険悪なハンガリーへ、協力をお願いしにいくのです。

もう、これが、最後の頼みの綱でした。これしか方法がなかったのです。

結果として、見事成功するのですが、このハンガリーでの崖っぷちでの交渉が、今回のフランスとの同盟へわずかながら光明を見出せたのでしょう。

ただ、まだ、ハンガリーの力を借りてもマリア・テレジアは、自然に倒れるだろうと踏んでいた各国の王は、力を貸さなかったため、神聖ローマ帝国の皇帝をカール7世(バイエルン選帝侯カールアルブレヒト)に300年間守っていたハプスブルク家の神聖ローマ帝国の皇帝の座を奪われます。

このシュレージエンは、工業地帯であり、神聖ローマ帝国の確か3割の収益を生み出す都市であったため、ここは、奪還しようにもついには奪還できずに終わりますが、フランスとの同盟は、このシュレージエンを奪還する最後の頼みの綱であったでしょう。

神聖ローマ帝国が崩壊してもおかしくはない、そんな窮地の時であったからこそ、そして、女性であるということが、今までにはない考え方で柔軟にのこの難局を乗り越えたのでしょう。

私は、規模は、小さいながら、会社を経営していますので、このマリア・テレジアの歩んだ道を辿りますと、自分のことのように苦しみ、そして、もう過去のことですが、本を読む度になんとか乗り越えて欲しい、と願うのです。

鑑定枚数は、下記となります。

2022年8月9日時点

オークション価格は、下記となります。

2022年5月17日に1,029,442円(オークション会社手数料、輸入消費税込)で落札されました。